トオイダイスケと黒い手書き文字で書かれている。その下にオフィシャルウェブサイトと英字明朝体で書かれている
曇り空の、ある古びた商店街の写真
過去のtext (読書記録)『オルガン 36号』(俳句雑誌、オルガン編集部、2024) 2026.02.11 ※編集部から恵投いただきました。ありがとうございます。 発行から2年経過している本ですが、最新号はもちろん当該号も現在入手可能な可能性があると思われるので感想を記します。 印象に残った句: あの日あの時くだけた安心毛布の端 宮﨑莉々香 →「安心毛布」という物体および概念がとても好きなので、それについてのリアルな感触の句だと思いました。くたくたになるまで大事に(かつ、思うままに)触れて撫でてきた安心毛布は、思わぬ瞬間にその端からほつれたりして、「くだけ」るかのように崩壊して毛布としての体をなくしてゆく(安心毛布から得られる「安心」が弱まってゆく)。 そういう個人的にショッキングなことが起きた瞬間はあとになっても、そのときに見ていた・感じていた匂いや温度や空気を鮮明に思い出せる(かつ折に触れ思い出そうとする)ので、「あの日あの時くだけた」という感じ方にも心当たりがあると思わせる。 湯冷めする音楽息して接近して 田島健一 好きな木の法に従い冬の蜂 夜が葉に伝わり弓弦葉の葉音 →人間の社会と別の秩序や法則に基づいて現象が発生しているような印象を受ける。かつ、音や音波の不思議さや心地良さ(それもあまり聴いたことのなさそうな)を想像させるような句たちだと感じる。 スケートの気がしてさらに読みすすむ 鴇田智哉 →シャーッという音、前に進んでいく動き、空気の冷たい流れだけを立ち上がらせられる句と感じた。 座談会部分の感想、印象に残った発言: (斜体は本文より引用) ・「宮﨑 掛け合わされているもの、言葉の身振りはすごく冷静に見えるけど、そのなかの主体とか景みたいなものは冷静じゃないよ(以下略)」 ・「鴇田 (略)たとえば変じゃない、言葉ってさ。この世界のことを言葉で言えるなんて本当はおかしな話でしょう。(中略)俳句は極端に短いから、「あれ? おかしいよね、言葉って何?」みたいなところが露出すると思うんですよね(略)」 ・上記2点の状態や認識であり続けること自体が簡単ではないということを思った。 ・喃語俳句というのは、個人的には上記2点を達成しようとする気持ちを持った上で行うハナモゲラ的な言語表出ではないかと思った。 ・どの作品を発表しないか考える(作った様々な作品から、発表しないものを選ぶ / 発表するものを一部に限定する)ことで作家性を成り立たせるということは、個人的には何を発表するか考えることより作家性を形作ると感じる。 ・「田島 (略)いかに何の理由もなくこまどりでやるんだって決められるかどうか(略)」※「晴れてよく食べるこまどり国有林 田島健一」という句の作られた経緯の話の後の発言 →「何の理由もなく」という在り様にどれだけ躊躇なく居続けられるかが作品の強度の最大値を決める気がする。 ・「福田 僕は、俳句のなかに、YAとか児童文学的なものとして読めるものがあまりないことが、ずっと気になっているんです。要するに、俳句から子どもが締め出されている。それは嫌だし、変えたい。」 ・「宮本 (略)自分が人前で泣くということは滅多にないので、俳句にしておかなきゃなって思ったんです。(中略)自分の気持ちの動いた体験を経験にするために、実感をもとに作っています。(略)